それは予測し得ない出会いであった。私は唐突に「声優さんたち」の存在を撃たれたように認識した。高校三年生の春のことである。
出会ったというよりは出遭わせていただいた、が近い。同期に勧められたラジオをなんの気なしに聴いた瞬間、なにかがカチャンと音を立てて始まってしまったのである。物事に本当にはまり込んだ時、私は無意識であるらしい。気づけば一時期、一日十時間は声優さんがパーソナリティーを務めるラジオ番組やネットラジオ、動画を聴き続ける生活をおくっていた。当時のツイッター文面が恐ろしい。もうその話しかしていない。そもそもアニメをほとんど見ない自分がなぜ声優にはまったのか自分でもよくわからない。名前しか知らないようなアニメの広報用ラジオ(アニラジ)を放浪し、声と名前を一致させ、気になる人がいれば検索をかけてまたラジオを辿り、深夜帯にひとりクスクスと笑う楽しみを覚えた。
そして最大のエンカウントがやってくる。忘れもしない、アニメKのラジオ「KR」第2回を偶然聴いたときだった。メンバーは沢城みゆきさん、宮野真守さん、そして杉田智和さんである。なんだろう、と思ったのだ。なんだろう、すごく気になる。よくわからない、なにもわからないけど、とにかく気になるひと、それが杉田智和さんであった。
杉田さんがパーソナリティを務めるラジオがあるというのでとりあえずつけてみたあの夜の高揚を、私はいつでも思い出せる。びっくりした。助詞しかわからなかったのだ。放送された言葉の中でほぼ分かる単語がないという経験は初めてだった。なんにもわからなかった。わからなかったのに、めちゃくちゃ面白かった。聴いていて心地よくて、笑えて、一瞬で飲み込まれて、あとあと思えばいきなり惚れているじゃないか私よ、要するに私は杉田さんが大好きになってしまったのだった。
杉田智和さんの好きなところといわれると困る。「全部かな」などという痛々しい返事をして大ケガする展開には経験がある。本当に声も芝居も喋りも表情も手の造形も、すべて好きなのだ。なぜかはわからない。でも言葉で説明できる「好きなもの」なんて本当はあんまりない。少なくとも私は。理由もなく突然に琴線に食い込んでくるから恐ろしいのだ、「好き」は。
杉田さんの凄いところをひとつ挙げるとするならば、そのエンターテイナーとしての才覚である。毎度感服してしまう。人が喜ぶことに対する感覚が鋭い人なのだと、思う。私が元気が欲しい時に見る動画がひとつあって、それはデビュー間もない杉田さんが川澄綾子さんの「グッドコミュニケーション」というネットの動画番組にゲストとして呼ばれたときの映像だ。杉田さんはまだ二十歳そこそこであり、初々しさをまとった青年で、ああこんな時期があったのかと思うのもつかの間、登場したなり、いきなりボケをかました。スリッパを投げられるというネタまで仕込んで。心底びっくりした。今も杉田さんがよくやるやつだ!出てきたなり全然違う(架空の)番組の名前を出すあのボケだ!この頃にすでに健在ってどういうことだ?!現場みんな戸惑ってるし!それがもはや面白いし!ああそうか、これを繰り返して、積み重ねて、杉田さんは今のポジションを手に入れたのか。視聴者に印象を残し、さらにわかる人には笑ってもらおうとする、貪欲とすら取れる精神、居場所を掴もうとする努力、そういう意図を感づかせまいとするようなパフォーマンス、その全力さ、全てが胸に迫ってきて、不思議な感動に襲われた。杉田さんはずっと杉田さんだった。この動画を見るたびにどうしてか、自分を信じたくなる。頑張る気力が湧いてくる。いつも私たちを励ましてくれる、杉田さんが好きだ。
最近自覚したが、私は「泣かされる」と弱い。その人の芝居で泣いてしまうと一発で惚れる。ドラマや映画は入り込んで見る割にはどこか冷静なところがあるようで、自分のなかでは「泣く」のはそこそこレアな事態なのである。「泣かされた」作品やイベントはよく覚えている。黒柳徹子さんのエッセイ、山田悠介さんの『スイッチを押すとき』、初野晴さんの『空想オルガン』、中島みゆきさんの「ファイト」、銀魂のイベントの生アフレコ、同期のバンドの文化祭の発表、悠木碧さんのまどか、上坂すみれさんのうろおぼえ劇場、羽海野チカさんの漫画、パンプキンシザーズ、歌集『羽虫群』、スピッツのライブ、夜明け告げるルーの歌、この世界の片隅に、先生の別れの言葉、友人との会話、最後の文化祭、新人公演、リリパットアーミーⅡさんの「ひとり、独りの遊戯」…
杉田さんの言葉や口ぶりで笑うことはそれこそ山ほどあるし、中村悠一さんやマフィア梶田さんといった親しいひととの会話はこちらまで楽しくなる。優しさにホッとする。同時に私は彼の声質に弱い。不意に響く真剣な声、怒りの声、いたわる声、必死で呼ぶ声、弱った声、宥める声、泣き声、怖れる声、堪える声、懇願する声、祈る声、決意した声。声が自分のなかで共鳴し、増幅され、感情の波に一気にさらわれそうになる。単純に言おう。大好きな声だ。
この人を演出してみたい。誰もが圧倒されるようなさらなる魅力を引き出したい。おこがましいことではありますが、はじめてそう思ったのが杉田智和さんという声優だった。
そういう思いに駆られる素晴らしい役者さんは今では杉田さんを筆頭に何人も存じ上げている。中村悠一さん、悠木碧さん、上坂すみれさん、櫻井孝宏さん、石田彰さん、ちょっと挙げきれないたくさんの方々、これからもますます増えていくに違いない。
私の将来の夢の原動力は「子どもたちのふるさとになるようなアニメを」という意思一つではなく、この「声優の芝居が好きだ」という衝動が確実に大きなポジションを占めている。杉田智和さんというひとが生きている時代に生まれて本当に幸運だと自分を誇りたい。星野道夫さんという写真家の言葉を思い出す。念願だった野生のカリブーとはじめて出会ったとき、「間に合った」という不思議な感慨にとらわれたそうだ。私も、間に合った。間に合ったんだ。まだまだいける。ただのファンでいるにはもてあましてしまうくらいの愛である。ただの自負だ。気持ち悪いね。でも嬉しくてたまらない。
「さん」っていちいち呼ぶのは、そのうち一緒にお仕事するって信じているからなんだね。これは願掛けに近い。祈りともいう。意地ともいう。なにがあろうとこれからも、背筋伸ばして生きてくだけよ。
次のテーマは「台詞」です。その次は「観光という産業」です。おやすみなさい。いい夢を。
すきなものなど
もなかです。好きなこと・好きなもの・好きなひとたちのことを滔々と語るだけのブログです。
2017年8月11日金曜日
2017年8月10日木曜日
アラビア語
去年度1年間、大学でアラビア語を習っていた。
はじめに言っておくと、わたしがこれまで学んだ言語の中でもっとも難しかったしもっとも面白かった。言語ってすごい。本当に人の考え方そのものに直結すると思う。
アラビア語の特徴は、なんといっても「文字」そして「語根構造」である。
大半の人々にとって、文字を覚える経験はほとんど記憶にないのではないだろうか。今回のアラビア語で、わたしは文字を覚えるという作業には2段階あることを知った。まず「文字のかたち」を全て覚えること、そして音と「かたち」を結びつけることだ。散々書いてなんとか文字の形を全て覚えても、それが発音できるかどうかは別の話になる。これがすらすらできるようになってくれば話すことは容易いのではないかと思う。これはおそらく英語でも同じだ。すらすら発音ができるということは、文字と音とが完璧に脳内で結びついており反射的に口をついて出てくることがまず第一にあり、さらにいうなら、どのような音の並びの傾向があるかを体が覚えているということである。
アラビア語文法上の最大の特徴が「語根構造」である。じつはアラビア語の文字は基本的に子音しか表現していない。そこに発音記号をつけることで母音を付加するわけだが、アラビア語では子音が非常に重要であることを思うとちょっと納得できてしまう。「語根」とはつまり3つないし4つの子音の組み合わせのことである。ここからあらゆる語が派生してゆくのである。
例えを出す。ここにk t bの3つの子音がある。こうして並べたときこの子音の組は、ニュアンスとして「書く」という意味を持つ。ここに母音や活用を施して、例えばkatabaとするなら意味は「書いた」、kitahbunとするなら「本」。動詞も名詞も形容詞もみんな同じ子音を持ち、ゆるやかに意味で繋がっている。その母音や活用の仕方にもパターンがあり、意味が付与される。多少の語根と文法がわかれば、新しく出てきた単語でもだいたいの意味をとれる。アラビア語はすごい。わたしにとっては初めて出会ったシステムで、その分だけ、世界の見方の方向がぐっと多様化した気がした。
他の言語を知ることは母語以外の思考回路を知るということだ。thatのない世界にいる我々とthatがあらゆる意味を持つ世界にいる人々と、きっと物事の見え方や解釈の仕方が違う。アラビア語は本当に面白い。アラビアの単語は馴染みがなすぎて覚えるのに時間がかかるけれど、一歩一歩踏みしめていけたらと思う。そしていまよりもっと、自由になりたい。
今年の夏は言語をやっています。頑張ります。
はじめに言っておくと、わたしがこれまで学んだ言語の中でもっとも難しかったしもっとも面白かった。言語ってすごい。本当に人の考え方そのものに直結すると思う。
アラビア語の特徴は、なんといっても「文字」そして「語根構造」である。
大半の人々にとって、文字を覚える経験はほとんど記憶にないのではないだろうか。今回のアラビア語で、わたしは文字を覚えるという作業には2段階あることを知った。まず「文字のかたち」を全て覚えること、そして音と「かたち」を結びつけることだ。散々書いてなんとか文字の形を全て覚えても、それが発音できるかどうかは別の話になる。これがすらすらできるようになってくれば話すことは容易いのではないかと思う。これはおそらく英語でも同じだ。すらすら発音ができるということは、文字と音とが完璧に脳内で結びついており反射的に口をついて出てくることがまず第一にあり、さらにいうなら、どのような音の並びの傾向があるかを体が覚えているということである。
アラビア語文法上の最大の特徴が「語根構造」である。じつはアラビア語の文字は基本的に子音しか表現していない。そこに発音記号をつけることで母音を付加するわけだが、アラビア語では子音が非常に重要であることを思うとちょっと納得できてしまう。「語根」とはつまり3つないし4つの子音の組み合わせのことである。ここからあらゆる語が派生してゆくのである。
例えを出す。ここにk t bの3つの子音がある。こうして並べたときこの子音の組は、ニュアンスとして「書く」という意味を持つ。ここに母音や活用を施して、例えばkatabaとするなら意味は「書いた」、kitahbunとするなら「本」。動詞も名詞も形容詞もみんな同じ子音を持ち、ゆるやかに意味で繋がっている。その母音や活用の仕方にもパターンがあり、意味が付与される。多少の語根と文法がわかれば、新しく出てきた単語でもだいたいの意味をとれる。アラビア語はすごい。わたしにとっては初めて出会ったシステムで、その分だけ、世界の見方の方向がぐっと多様化した気がした。
他の言語を知ることは母語以外の思考回路を知るということだ。thatのない世界にいる我々とthatがあらゆる意味を持つ世界にいる人々と、きっと物事の見え方や解釈の仕方が違う。アラビア語は本当に面白い。アラビアの単語は馴染みがなすぎて覚えるのに時間がかかるけれど、一歩一歩踏みしめていけたらと思う。そしていまよりもっと、自由になりたい。
今年の夏は言語をやっています。頑張ります。
次のテーマは「エンカウント」です。その次のテーマは「台詞」です。夏で、夏休みだ。
2017年3月13日月曜日
一人称と選択とスピッツ
スピッツ
スピッツが好きだ。
中学一年の時に同じクラスの友人がベストアルバムを貸してくれたのが始まりだった。寝床でCDをかけて、家族が横で寝ている中ヘッドフォンで聴いた。裏面のリストを見ると、知っている曲もちらほらあった。出逢いは突然に。4曲名の「惑星のかけら」。ほしのかけら、と読む。しょっぱなからガツンとヘビーなギターが入る。びっくりする。サビはこうだ。
骨の髄まで愛してよ
惑星のかけら
骨の髄まで愛してよ
僕に傷付いてよ
衝撃だった。その日はそれをエンドレスでリピートして、いつの間に眠っていた。
スピッツが好きだ。
中学一年の時に同じクラスの友人がベストアルバムを貸してくれたのが始まりだった。寝床でCDをかけて、家族が横で寝ている中ヘッドフォンで聴いた。裏面のリストを見ると、知っている曲もちらほらあった。出逢いは突然に。4曲名の「惑星のかけら」。ほしのかけら、と読む。しょっぱなからガツンとヘビーなギターが入る。びっくりする。サビはこうだ。
骨の髄まで愛してよ
惑星のかけら
骨の髄まで愛してよ
僕に傷付いてよ
衝撃だった。その日はそれをエンドレスでリピートして、いつの間に眠っていた。
彼らはロックとポップの中間を、ゆらゆらしながらひた走ってゆく。メロディラインと歌詞のマッチング&アンバランスがたまらなく不穏で愛おしい。初めてスピッツを聴くという諸君にはまず「さざなみCD」と「ハチミツ」というアルバムをオススメしよう。もう少しロックが好きだという方は「三日月ロック」。名盤中の名盤。そもそもあまり音楽を聴かないという人には「CYCLE HITS 1991-1997」(ベストアルバム)もしくは「とげまる」。
私はどれが好きかというと本当に迷う。最新盤「醒めない」は本当に仕上がっている。多分一番聴いている。結局自分で買ってまさにそのときに延々に聴いていたアルバムが永遠に一番なんだろう。でも全部好い。人気が無いけど「スーベニア」とかね。個人的にはセットリストだけでにやにやしてしまう。
スピッツが好きな人は、少なくとも一度は、スピッツに救われた経験を持っていると思う。わたしの友人は、大学受験の前日にホテルで眠れなくなって焦って、音楽を流してかかったのがスピッツで、聴いているうちにすっと眠れたそうだ。わたしの場合はいつも本番前に「小屋入り前夜」というスピッツだけで選んだプレイリストを聴く。その時々で入れる曲は違うけれど、例えば「運命の人」。「運命の人」はこんな始まりだ。
バスの揺れ方で人生の意味がわかった日曜日
でもさ君は運命の人だから 強く手を握るよ
サビはこう。
走る 遥か この星の果てまで
悪あがきでも呼吸しながら 君を乗せてゆく
アイニージュー あえて無料のユートピアも
汚れた靴で通り過ぎるのさ 自力で見つけよう神様
この曲を聴いて、わたしはなぜか「ああ、この二人はバスに乗りながら死ぬんやな」って思ってしまって、聴くたびに泣きそうになる。Cメロはこうだ。
神様 神様 神様 君となら…
このまま このまま このまま 君となら…
なんだこの歌。いざ書いてみるとすごい歌詞だ。スピッツの歌詞の秀逸さはフレーズに現れる。日々の生活の中でそのフレーズがぶわっと蘇る瞬間があって、歌詞の意味を心から悟るのだ。自分なりの解釈が肌に落ちて来る感じだ。好きな歌詞を挙げる。
振り向けば優しさに飢えた優しげな時代で (スピカ)
美人じゃない魔法もない バカな君が好きさ
途中から変わっても すべて許してやろう (夢追い虫)
うめぼしたべたい
うめぼしたべたい僕は 今すぐ君に会いたい (うめぼし)
君を不幸にできるのは 宇宙でただひとりだけ (8823)
君のおっぱいは世界一 君のおっぱいは世界一
もうこれ以上の生きることの喜びなんていらない
あしたもここで君と会えたらいいな (おっぱい)
ハローハローハロー よろしくね
繋がってる命に甘えて (ガーベラ)
ごめんなさい 理想の世界じゃないけど 大丈夫そうなんで (君は太陽)
明日とか未来のことを 好きになりたいな少しでも (群青)
進化する前に戻って なにもかもに感動しよう
その眼差しに刺さりたい (恋する凡人)
幸せになってな ただ幸せになってな
あの日の涙がネタになるくらいに
間違ったっていいのに ほら こだわりが過ぎて
君がコケないように僕は祈るのだ (子グマ!子グマ!)
現は見つつ 夢から覚めず もう一度 (漣)
終わることなどないのだと 強く思い込んでれば
誰かのせいにしなくても どうにかやっていけます (謝々!)
いつも仲良しでいいよねって言われて でもほんとはブルーになってた
あれは恋だった (仲良し)
憧れたりコケにしたり愛おしい二文字
君の名前つけた人はすごくセンスがいい (ナサケモノ)
猫になりたい 言葉ははかない
消えないようにキズつけてあげるよ (猫になりたい)
君が世界だと気付いた日から 胸の大地は回り始めた (日なたの窓に憧れて)
最低の君を忘れない 悲しい噂は信じない 不死身のビーナス明日も風まかせ (不死身のビーナス)
どうか正夢 君と会えたら
何から話そう 笑ってほしい (正夢)
君に夢中で泣きたい (幻のドラゴン)
抜け出したい気持ちなら桜が咲くたび現れる わかってくれるかな?君なら (三日月ロック その3)
あと歌詞全文書きたいくらいなのはミカンズのテーマ。ぐっと背中を押される。
一人称
スピッツの歌詞は一人称の書き分けがある。わかりやすいのは僕or俺。僕の方が多いけど、俺って言い切る歌詞もある。ちょっと意外かもしれない。俺って言われるとやはりどきっとする。文法が若干変わる感覚すらある。一人称ってすごく大事な要素だ、と思う。
たとえば台本を書くときは一人称には非常に気を遣う。友人がどんな一人称を使っているか気になるし、小説や漫画やアニメのキャラクターの一人称を妙に覚えている。ちょっと珍しい一人称を使っている作品とかたまにあるけど、一人称にキャラクターを頼りきっているとちょっと残念に思ってしまう。ボーイッシュだからといって一人称を「僕」にするとか、あああああああって叫びたい。「わたくし」「拙者」「我輩」「おいら」「あたし」「わらわ」「うち」「自分」「わたくしめ」「あちし」「小生」などなど。その人物の「自己認識の表現」なのか、「他者から見られたい自分自身の演出」なのかを常に見つめる必要がある。たとえば高校の先生、遠藤先生はふだん「俺」で人前に出ると「僕」だった。斎藤先生は「俺」で「私」だった。関先生は「俺」、「僕」と「自分」だったと思う。須藤先生は「僕」と「私」。湯沢先生はすべて「私」だ。
わたしはふだんから「わたし」もしくは「自分」をつかう。たまに、口をついて「ぼく」といってしまうときがある。そういえば昔「ぼくちゃん」と自称していたなとかいう黒歴史はほうっておいて、たぶん、自分自身と距離を取りたいときに無意識にやっているんだろう。違和感によって距離をうむ。少しでも客観的になって傷つかまいとする。ふだん使わない一人称をつかうと乗り切れることがたまにあるよ。参考になる気がしないけど、やってみてね。
選択
好きな物を並べると、「仲の良い友達遍歴」がわかるくらい、人に影響を受けがちだ。たいがいのものはそのとき一番仲が良かった人や好きだった人の好きな物だ。同じ世界見たさに足を踏み入れたパターンが多い。わたし自身が選択したものなんてほとんどない。ひとからの影響でないものは、もはや物心つく前のことだったりして自分で選択などしていない。自分のことを自分で選択できるなんて、ほとんど嘘だと思っているんです。実は。よしもとばななの『キッチン』に確か、そういう一節がある。分かれ道がきて、そのとき自分が選ぶとおもっているけれど、本当はそうじゃなくて、その分かれ道にたどりつくまでの自分の呼吸の積み重ねで、選ばされているし、選択肢など本当は無いんだ、というような内容。自己責任というのは「ひとは自分のことを自分で選択できる」という前提によって成り立つけど、だからわたしは自己責任という概念の簡略な流用をとても憎む。自己選択の場面というのは、実際にはほとんど転がっていないからだ。けっして運命論じゃなくて、自分への外からの力の種類と強さはできるだけ多く知っておいたほうがいいっていう実感がある、そういう話だ。
わたしは「好きな人が好きなもの」で自分が出来上がっているとおもっている。その要素の組み合わせが自分自身だ。この理論だと、生きていくだけでじわじわとわたしの「わたしらしさ」は向上していくことになる。ね。気楽で良いでしょ。自分らしい自分というのはいつだって今ここに存在している君自身に他ならないのだ。
いかがでしょうか。繋がったようで繋がらない、テーマは「一人称と選択とスピッツ」でした。興味をもったひとはとにかく聴いてみてね。そういえば、テーマを募集するよ。よかったらコメントに「滔々と語ってほしいテーマ」をつけてください。必ずしも採用されるとは限りません。あらかじめご了承を。ではでは。今日も、いい夢を。
次のテーマは「アラビア語」です。その次は「エンカウント」です。いい夢をって本文で言ってしまったね。いい朝を。
スピッツが好きな人は、少なくとも一度は、スピッツに救われた経験を持っていると思う。わたしの友人は、大学受験の前日にホテルで眠れなくなって焦って、音楽を流してかかったのがスピッツで、聴いているうちにすっと眠れたそうだ。わたしの場合はいつも本番前に「小屋入り前夜」というスピッツだけで選んだプレイリストを聴く。その時々で入れる曲は違うけれど、例えば「運命の人」。「運命の人」はこんな始まりだ。
バスの揺れ方で人生の意味がわかった日曜日
でもさ君は運命の人だから 強く手を握るよ
サビはこう。
走る 遥か この星の果てまで
悪あがきでも呼吸しながら 君を乗せてゆく
アイニージュー あえて無料のユートピアも
汚れた靴で通り過ぎるのさ 自力で見つけよう神様
この曲を聴いて、わたしはなぜか「ああ、この二人はバスに乗りながら死ぬんやな」って思ってしまって、聴くたびに泣きそうになる。Cメロはこうだ。
神様 神様 神様 君となら…
このまま このまま このまま 君となら…
なんだこの歌。いざ書いてみるとすごい歌詞だ。スピッツの歌詞の秀逸さはフレーズに現れる。日々の生活の中でそのフレーズがぶわっと蘇る瞬間があって、歌詞の意味を心から悟るのだ。自分なりの解釈が肌に落ちて来る感じだ。好きな歌詞を挙げる。
振り向けば優しさに飢えた優しげな時代で (スピカ)
美人じゃない魔法もない バカな君が好きさ
途中から変わっても すべて許してやろう (夢追い虫)
うめぼしたべたい
うめぼしたべたい僕は 今すぐ君に会いたい (うめぼし)
君を不幸にできるのは 宇宙でただひとりだけ (8823)
君のおっぱいは世界一 君のおっぱいは世界一
もうこれ以上の生きることの喜びなんていらない
あしたもここで君と会えたらいいな (おっぱい)
ハローハローハロー よろしくね
繋がってる命に甘えて (ガーベラ)
ごめんなさい 理想の世界じゃないけど 大丈夫そうなんで (君は太陽)
明日とか未来のことを 好きになりたいな少しでも (群青)
進化する前に戻って なにもかもに感動しよう
その眼差しに刺さりたい (恋する凡人)
幸せになってな ただ幸せになってな
あの日の涙がネタになるくらいに
間違ったっていいのに ほら こだわりが過ぎて
君がコケないように僕は祈るのだ (子グマ!子グマ!)
現は見つつ 夢から覚めず もう一度 (漣)
終わることなどないのだと 強く思い込んでれば
誰かのせいにしなくても どうにかやっていけます (謝々!)
いつも仲良しでいいよねって言われて でもほんとはブルーになってた
あれは恋だった (仲良し)
憧れたりコケにしたり愛おしい二文字
君の名前つけた人はすごくセンスがいい (ナサケモノ)
猫になりたい 言葉ははかない
消えないようにキズつけてあげるよ (猫になりたい)
君が世界だと気付いた日から 胸の大地は回り始めた (日なたの窓に憧れて)
最低の君を忘れない 悲しい噂は信じない 不死身のビーナス明日も風まかせ (不死身のビーナス)
どうか正夢 君と会えたら
何から話そう 笑ってほしい (正夢)
君に夢中で泣きたい (幻のドラゴン)
抜け出したい気持ちなら桜が咲くたび現れる わかってくれるかな?君なら (三日月ロック その3)
あと歌詞全文書きたいくらいなのはミカンズのテーマ。ぐっと背中を押される。
一人称
スピッツの歌詞は一人称の書き分けがある。わかりやすいのは僕or俺。僕の方が多いけど、俺って言い切る歌詞もある。ちょっと意外かもしれない。俺って言われるとやはりどきっとする。文法が若干変わる感覚すらある。一人称ってすごく大事な要素だ、と思う。
たとえば台本を書くときは一人称には非常に気を遣う。友人がどんな一人称を使っているか気になるし、小説や漫画やアニメのキャラクターの一人称を妙に覚えている。ちょっと珍しい一人称を使っている作品とかたまにあるけど、一人称にキャラクターを頼りきっているとちょっと残念に思ってしまう。ボーイッシュだからといって一人称を「僕」にするとか、あああああああって叫びたい。「わたくし」「拙者」「我輩」「おいら」「あたし」「わらわ」「うち」「自分」「わたくしめ」「あちし」「小生」などなど。その人物の「自己認識の表現」なのか、「他者から見られたい自分自身の演出」なのかを常に見つめる必要がある。たとえば高校の先生、遠藤先生はふだん「俺」で人前に出ると「僕」だった。斎藤先生は「俺」で「私」だった。関先生は「俺」、「僕」と「自分」だったと思う。須藤先生は「僕」と「私」。湯沢先生はすべて「私」だ。
わたしはふだんから「わたし」もしくは「自分」をつかう。たまに、口をついて「ぼく」といってしまうときがある。そういえば昔「ぼくちゃん」と自称していたなとかいう黒歴史はほうっておいて、たぶん、自分自身と距離を取りたいときに無意識にやっているんだろう。違和感によって距離をうむ。少しでも客観的になって傷つかまいとする。ふだん使わない一人称をつかうと乗り切れることがたまにあるよ。参考になる気がしないけど、やってみてね。
選択
好きな物を並べると、「仲の良い友達遍歴」がわかるくらい、人に影響を受けがちだ。たいがいのものはそのとき一番仲が良かった人や好きだった人の好きな物だ。同じ世界見たさに足を踏み入れたパターンが多い。わたし自身が選択したものなんてほとんどない。ひとからの影響でないものは、もはや物心つく前のことだったりして自分で選択などしていない。自分のことを自分で選択できるなんて、ほとんど嘘だと思っているんです。実は。よしもとばななの『キッチン』に確か、そういう一節がある。分かれ道がきて、そのとき自分が選ぶとおもっているけれど、本当はそうじゃなくて、その分かれ道にたどりつくまでの自分の呼吸の積み重ねで、選ばされているし、選択肢など本当は無いんだ、というような内容。自己責任というのは「ひとは自分のことを自分で選択できる」という前提によって成り立つけど、だからわたしは自己責任という概念の簡略な流用をとても憎む。自己選択の場面というのは、実際にはほとんど転がっていないからだ。けっして運命論じゃなくて、自分への外からの力の種類と強さはできるだけ多く知っておいたほうがいいっていう実感がある、そういう話だ。
わたしは「好きな人が好きなもの」で自分が出来上がっているとおもっている。その要素の組み合わせが自分自身だ。この理論だと、生きていくだけでじわじわとわたしの「わたしらしさ」は向上していくことになる。ね。気楽で良いでしょ。自分らしい自分というのはいつだって今ここに存在している君自身に他ならないのだ。
いかがでしょうか。繋がったようで繋がらない、テーマは「一人称と選択とスピッツ」でした。興味をもったひとはとにかく聴いてみてね。そういえば、テーマを募集するよ。よかったらコメントに「滔々と語ってほしいテーマ」をつけてください。必ずしも採用されるとは限りません。あらかじめご了承を。ではでは。今日も、いい夢を。
次のテーマは「アラビア語」です。その次は「エンカウント」です。いい夢をって本文で言ってしまったね。いい朝を。
2017年3月12日日曜日
番外編 いまのことなど
気づいたらトイレで東京エンカウントの櫻井さんゲスト回を10分近く観ていた。何してるんだろうと思う。さすがに疲れているのか。一人暮らしとか始めたらこういうことだらけになりそう。怖い。誰も困る人いないし。我に返ってお風呂に入ってパジャマで洗面所でこれを打ち込んでいるこの状況もなかなか不可解ではある。
温かい水筒を持ち歩くようになったのは6年前の昨日がきっかけだった。寒い日だったなあ。期末の終わった次の日だったか、GTECの日だったか。返却された幾何のテストが13点で本当にびびったが、それどころじゃなくなった。私のクラスには一切の情報が入っていなかった。ただ事じゃなかったことだけが、今になってわかる。避難訓練がなんの役にも立たなくて、先輩がやってきて乾パンと毛布を配ってくれて、放送で更新され続ける待機命令を、わたしは歌詞カードを眺め小声で歌いながら過ごした。でも夜が更けてきて、みんなで横になって教室の電気を消しても寒くて震えて眠れなくて、廊下から光が漏れていて、遠藤先生の低い声と斎藤先生の声が途切れずに地面をつたって聴こえてきた。余震で窓ががたがたと永遠に揺れているみたいだった。うっすらと覚醒しきらない意識の中、ひとりまたひとりと同級生が親に連れられて帰っていった。一度トイレに起きた。友達のみみちゃんと連れ添ってドアを開けたら校舎内は煌々と光って先生方がみんな起きていた。たぶんもう4時近かった。教室に戻って、帰ったひとの毛布を勝手にとって二人で包まって身を寄せてようやく眠った。朝起きて、7時に温かい鮭のアルファ化米が配られて、そうこうしていると大量のパンを差し入れに持った母と弟が迎えにきて、バスで帰った。妙に静かな街だった。その日は母の友人の出演する舞台を観劇する予定で、でも母がダメだと言って、わたしは不服だったけど帰って初めてテレビを見て、絶句した。なにより、わたしがそれをみたときには、それは「終わってしまったこと」だった。絶句という言葉では少し足りない。なぜか未来の遠さ、暗さを思い知った。わたしたち人間には所詮、「いま現在」しか与えられていないのだと、思った。
あの日から6年だなんて嘘だろう。嘘だと思いたい。あのときから驚くほどなにも進歩していない。結局わたし・たちは、いま現在のことしか、考えられないでいる。わたしは今日も友人と未来について夢みたいな希望の話をして、あの日を忘れていって、そのうち日付さえ歴史上の出来事になって、あっという間に死ぬ。流れてゆく。そうしないとヒトはみんな知恵熱で絶滅する。でも、それでも、ああくそ忘れたくない、死ぬまでつきまとってやるぞ震災、と宣言していきたい。「君の名は。」みたいにみんなを救えたらなら。あんな夢を描いたらだめだ。許しがたい。事実の肯定から入らなければ、いつか歪んでしまう気がする。日常のもろさを天災は思い知らせる。いつなんどきでも。日常とはなんなのだろう。こんなに弱い存在を、どうして日々信頼していられるのだろう。馬鹿でよかったと思う。そうでなければ気が狂う。わたしは明日も何事もないような顔で、息をしているのだ。6年。もう、とも、まだ、とも、うそ、にも思える時間。
身体が冷えてきて風邪をひきそうなのはいま現在、それでも打ち込み続けているのもいま現在、明日風邪をひくかもしれないがそれは誰にも、なんのせいかもわからなくて、きっとそれはもう仕方のないことだ。あしたゴジラがやってきたって、巨災対が機能しなくて東京が焼き尽くされたって、わからないんだ。それでもぼくらは明日の遊びの約束をする。いつもまたねを云う。するのだ。いうのだ。
愚鈍にも自分の生命を信じていく。信じていく。それをたぶん未来って呼ぶって教えてくれたのはスガシカオ。理想の世界じゃないけど大丈夫そうなんでと言い放ったのはスピッツ。現在しか知らないと暴いたのは椎名林檎だね。地球は回る、毎秒200メートルぼくらは移動しているらしいよ。知らないことはやまほどあるけど、「なんで生きているのか」知らないのに生きていられるんだから大抵のことはなんとかなるって希望を持ちたい。でも知っている。希望はいつでも、ほんとうに些細なことだ。はい、ではみなさん。またあとで。この文章、もう終わらないよ、終われ。
あの日から温かい水とうを持ち歩いているの 簡易安心(野原海)
今回は「番外編 いまのことなど」をお送りしました。次回予告を予告なしに裏切ってごめんなさい。次回のテーマは「一人称と選択とスピッツ」、その次は「アラビア語」です。
温かい水筒を持ち歩くようになったのは6年前の昨日がきっかけだった。寒い日だったなあ。期末の終わった次の日だったか、GTECの日だったか。返却された幾何のテストが13点で本当にびびったが、それどころじゃなくなった。私のクラスには一切の情報が入っていなかった。ただ事じゃなかったことだけが、今になってわかる。避難訓練がなんの役にも立たなくて、先輩がやってきて乾パンと毛布を配ってくれて、放送で更新され続ける待機命令を、わたしは歌詞カードを眺め小声で歌いながら過ごした。でも夜が更けてきて、みんなで横になって教室の電気を消しても寒くて震えて眠れなくて、廊下から光が漏れていて、遠藤先生の低い声と斎藤先生の声が途切れずに地面をつたって聴こえてきた。余震で窓ががたがたと永遠に揺れているみたいだった。うっすらと覚醒しきらない意識の中、ひとりまたひとりと同級生が親に連れられて帰っていった。一度トイレに起きた。友達のみみちゃんと連れ添ってドアを開けたら校舎内は煌々と光って先生方がみんな起きていた。たぶんもう4時近かった。教室に戻って、帰ったひとの毛布を勝手にとって二人で包まって身を寄せてようやく眠った。朝起きて、7時に温かい鮭のアルファ化米が配られて、そうこうしていると大量のパンを差し入れに持った母と弟が迎えにきて、バスで帰った。妙に静かな街だった。その日は母の友人の出演する舞台を観劇する予定で、でも母がダメだと言って、わたしは不服だったけど帰って初めてテレビを見て、絶句した。なにより、わたしがそれをみたときには、それは「終わってしまったこと」だった。絶句という言葉では少し足りない。なぜか未来の遠さ、暗さを思い知った。わたしたち人間には所詮、「いま現在」しか与えられていないのだと、思った。
あの日から6年だなんて嘘だろう。嘘だと思いたい。あのときから驚くほどなにも進歩していない。結局わたし・たちは、いま現在のことしか、考えられないでいる。わたしは今日も友人と未来について夢みたいな希望の話をして、あの日を忘れていって、そのうち日付さえ歴史上の出来事になって、あっという間に死ぬ。流れてゆく。そうしないとヒトはみんな知恵熱で絶滅する。でも、それでも、ああくそ忘れたくない、死ぬまでつきまとってやるぞ震災、と宣言していきたい。「君の名は。」みたいにみんなを救えたらなら。あんな夢を描いたらだめだ。許しがたい。事実の肯定から入らなければ、いつか歪んでしまう気がする。日常のもろさを天災は思い知らせる。いつなんどきでも。日常とはなんなのだろう。こんなに弱い存在を、どうして日々信頼していられるのだろう。馬鹿でよかったと思う。そうでなければ気が狂う。わたしは明日も何事もないような顔で、息をしているのだ。6年。もう、とも、まだ、とも、うそ、にも思える時間。
身体が冷えてきて風邪をひきそうなのはいま現在、それでも打ち込み続けているのもいま現在、明日風邪をひくかもしれないがそれは誰にも、なんのせいかもわからなくて、きっとそれはもう仕方のないことだ。あしたゴジラがやってきたって、巨災対が機能しなくて東京が焼き尽くされたって、わからないんだ。それでもぼくらは明日の遊びの約束をする。いつもまたねを云う。するのだ。いうのだ。
愚鈍にも自分の生命を信じていく。信じていく。それをたぶん未来って呼ぶって教えてくれたのはスガシカオ。理想の世界じゃないけど大丈夫そうなんでと言い放ったのはスピッツ。現在しか知らないと暴いたのは椎名林檎だね。地球は回る、毎秒200メートルぼくらは移動しているらしいよ。知らないことはやまほどあるけど、「なんで生きているのか」知らないのに生きていられるんだから大抵のことはなんとかなるって希望を持ちたい。でも知っている。希望はいつでも、ほんとうに些細なことだ。はい、ではみなさん。またあとで。この文章、もう終わらないよ、終われ。
あの日から温かい水とうを持ち歩いているの 簡易安心(野原海)
今回は「番外編 いまのことなど」をお送りしました。次回予告を予告なしに裏切ってごめんなさい。次回のテーマは「一人称と選択とスピッツ」、その次は「アラビア語」です。
2017年3月11日土曜日
同期
同期。はっきりいってめちゃめちゃ恵まれてきたと言ってよい。こんなわたしを受け容れてくれるなんて全員女神か何かだ。いつも迷惑かけてすいません。ほんと好きです。ありがとうございます。
「同期」って存在はほんとうに不思議だ。特に中高の部活の同期。「同期」、としか形容のしようがない存在感だ。間違っても「友達」じゃない。友達じゃないけど、例えば唐突に大切な人挙げてって言われて順に挙げていったときにはどうしても忘れないと思う。それくらい強い影響を受けたし、いまでも受けてるし、嫌われたくないし、でも多分好かれてもいないし、ただたまに心の底から会いたくはなる。
このあいだ、焼き鳥食べて飲んだ時なんてまあひどくて、多分一番ひどいのはわたしであまりの眠さとメンバーの安心感に居酒屋さんでなんと寝てしまったんですけど、起きたら一人はずっとお酒飲みつつ無限に食べてて、一人はケータイいじってて、一人はゲームしてた。なんだろうこの空間。どうしてこれで成り立ってるんだろうって考えておかしくて、ほんと好きだなあと思った。これが許されるとか許されないとか、考えなくてもいいんだとか思っていた。そんな関係性、これから先、誰かと作れる気がしない。重ねてきた時間が特殊で濃すぎる。あのあとのバスキンロビンスの味を、ぼくはたぶん永らく忘れずにいるだろう。
演劇っていうのも不思議。演劇はどうしてあんなにも人の心と心を裸でぶつからせようとするのかしら。部活っていうのも不思議。入れ込んで入れ込んで、「部活の存続」という目標のために自分の持てる力全部注いで、先輩と後輩というなんの損得も絡まない相手をここまで愛して、なんの利益も出なくて、でもそれは結局自分のものすごい動力源になりうるという、こんな世界が資本主義経済なんてどこ吹く風でごまんとある日本の中高っていうのは実に特殊な空間だと思う。変な学校だった、おたくと変人と優しい人がみんな同じに一般人の顔して歩いて平和に一日が終わっていくような、そんな学校、わたしは結局とても愛していたらしい。もう二度と戻りたくはないけど。一秒だって前には戻りたくはない。
同期ってつながりはもっと簡単に消えていくものだと思っていたのに、こんなに普通に自分の中に存在しているだなんておどろきだ。永遠の青春を共有した相手だ。中高6年て長いと思うよ。でも正直言ってね、未だにみんながそれぞれ何を考えているのかなんて全然わかんないんだよね。わかんないんだけどさ。何があろうと「ああ、なんからしいなあ、もうそのわけわかんなささえお前らしい」って言い切れる存在でありたい。全員がわたしを大嫌いでもわたしはにやにやして同期を好きでいたい。ほらな、今ものすごい気持ち悪いなこいつって目をした。傷ついてるけど自意識過剰がやめられない。お前のことなど好きでも嫌いでもないというのは、とりあえず同期にかぎって真理そのものだと思う。好きだろうが嫌いだろうが、「同期」だったのだ。その事実はもう、すごい決定権を持ってぼくたちに迫ってくる。
これから先いろんなひとに会うだろう。大学入ってひとの輪の広さがどーーーんと広がって、ああ楽しいなと思って。でもあんなふうに演劇をできることはもう二度とないと悟った二年間だったよ。わたしはね。好きなひととだけ、気があうひととだけ、趣味が一致するひととだけ関係していればある程度許されるモラトリアムが大学だ。大学で人間力ってつかないわって痛感してる。高校までの蓄積がこんなにものをいうなんて聞いてないぞって思った。わたしは自分の同期とのこれまでに支えられて今生きている、これまじですからね。わたしは一年生の時からクラスに一人劇部員がいて、順に関係を築いていく感じだったけど、そのとき好きになったものとか確実に影響を受けてて、いまだにそれがわたしを形作っている。わたしに「わたし自身」なんてものはたぶん無いんだな。
同期へ。たぶん劇部入ってなかったら絡まないであろう四人。最高でした。これからも最高です。結婚式と葬式に呼んでください。この言葉が、わたしの最高級の執着から発される言葉であることは、同じ言葉を某先生にも言ったことがあるという事実から察してもらえるのではないかと願う。焦がれるほどすきでもトリハダ立つほどきらいでもない同期がぼくは大好きです。
ラジオ頑張って編集します。次回は「一人称と選択とスピッツ」です。その次は「アラビア語」です。
いい夢を。
「同期」って存在はほんとうに不思議だ。特に中高の部活の同期。「同期」、としか形容のしようがない存在感だ。間違っても「友達」じゃない。友達じゃないけど、例えば唐突に大切な人挙げてって言われて順に挙げていったときにはどうしても忘れないと思う。それくらい強い影響を受けたし、いまでも受けてるし、嫌われたくないし、でも多分好かれてもいないし、ただたまに心の底から会いたくはなる。
このあいだ、焼き鳥食べて飲んだ時なんてまあひどくて、多分一番ひどいのはわたしであまりの眠さとメンバーの安心感に居酒屋さんでなんと寝てしまったんですけど、起きたら一人はずっとお酒飲みつつ無限に食べてて、一人はケータイいじってて、一人はゲームしてた。なんだろうこの空間。どうしてこれで成り立ってるんだろうって考えておかしくて、ほんと好きだなあと思った。これが許されるとか許されないとか、考えなくてもいいんだとか思っていた。そんな関係性、これから先、誰かと作れる気がしない。重ねてきた時間が特殊で濃すぎる。あのあとのバスキンロビンスの味を、ぼくはたぶん永らく忘れずにいるだろう。
演劇っていうのも不思議。演劇はどうしてあんなにも人の心と心を裸でぶつからせようとするのかしら。部活っていうのも不思議。入れ込んで入れ込んで、「部活の存続」という目標のために自分の持てる力全部注いで、先輩と後輩というなんの損得も絡まない相手をここまで愛して、なんの利益も出なくて、でもそれは結局自分のものすごい動力源になりうるという、こんな世界が資本主義経済なんてどこ吹く風でごまんとある日本の中高っていうのは実に特殊な空間だと思う。変な学校だった、おたくと変人と優しい人がみんな同じに一般人の顔して歩いて平和に一日が終わっていくような、そんな学校、わたしは結局とても愛していたらしい。もう二度と戻りたくはないけど。一秒だって前には戻りたくはない。
同期ってつながりはもっと簡単に消えていくものだと思っていたのに、こんなに普通に自分の中に存在しているだなんておどろきだ。永遠の青春を共有した相手だ。中高6年て長いと思うよ。でも正直言ってね、未だにみんながそれぞれ何を考えているのかなんて全然わかんないんだよね。わかんないんだけどさ。何があろうと「ああ、なんからしいなあ、もうそのわけわかんなささえお前らしい」って言い切れる存在でありたい。全員がわたしを大嫌いでもわたしはにやにやして同期を好きでいたい。ほらな、今ものすごい気持ち悪いなこいつって目をした。傷ついてるけど自意識過剰がやめられない。お前のことなど好きでも嫌いでもないというのは、とりあえず同期にかぎって真理そのものだと思う。好きだろうが嫌いだろうが、「同期」だったのだ。その事実はもう、すごい決定権を持ってぼくたちに迫ってくる。
これから先いろんなひとに会うだろう。大学入ってひとの輪の広さがどーーーんと広がって、ああ楽しいなと思って。でもあんなふうに演劇をできることはもう二度とないと悟った二年間だったよ。わたしはね。好きなひととだけ、気があうひととだけ、趣味が一致するひととだけ関係していればある程度許されるモラトリアムが大学だ。大学で人間力ってつかないわって痛感してる。高校までの蓄積がこんなにものをいうなんて聞いてないぞって思った。わたしは自分の同期とのこれまでに支えられて今生きている、これまじですからね。わたしは一年生の時からクラスに一人劇部員がいて、順に関係を築いていく感じだったけど、そのとき好きになったものとか確実に影響を受けてて、いまだにそれがわたしを形作っている。わたしに「わたし自身」なんてものはたぶん無いんだな。
同期へ。たぶん劇部入ってなかったら絡まないであろう四人。最高でした。これからも最高です。結婚式と葬式に呼んでください。この言葉が、わたしの最高級の執着から発される言葉であることは、同じ言葉を某先生にも言ったことがあるという事実から察してもらえるのではないかと願う。焦がれるほどすきでもトリハダ立つほどきらいでもない同期がぼくは大好きです。
ラジオ頑張って編集します。次回は「一人称と選択とスピッツ」です。その次は「アラビア語」です。
いい夢を。
2017年3月9日木曜日
宮崎駿監督
このテーマはあまり良くなかった気がする。あまりにもわたしの一部になりすぎて、うまく書けない。宮崎駿作品が自分の価値観にどれだけ影響を及ぼしているか、考えるのも恐ろしいくらいだ。それでもわたしは、宮崎駿の生きている時代に生まれて、本当に良かった。
そこからは親は事あるごとに宮崎駿作品を買ってくれたように思う。パンダコパンダ、魔女の宅急便、となりのトトロあたりは覚えるほど観た。その時点では千と千尋の神隠しやもののけ姫や風の谷のナウシカは見たことがなかった。怖かったのだ。宮崎作品はいつもちょっと怖いものだった。それでも、好きだとか嫌いだとか感じる以前の、感性を形作る段階で、わたしは宮崎アニメを観ていた。ナウシカは小学4年生の時に観て、宮崎駿本人が描いた漫画を6年生の時に熟読した。ポニョは映画館に行った。中3の時アニメ監督になりたいと思い付いて、高2の宮崎駿の引退で決心した。宮崎アニメ、とさっきから呼んでいるのは、スタジオジブリが必ずしも宮崎さん監督だけの制作会社じゃないということと、正式に会社として出発したのが「ラピュタ」からだからである。ハイジやコナンやルパンやパンダコパンダもジブリではない。ジブリアニメのなかでも、好きだなと思うのは宮崎さん監督の作品だ。はっきりしている。宮崎さんの作品で一番好きなのは?と聞かれたらあまりにも迷うのでとりあえず「ナウシカ」と答えることにしている。たぶん一番観たのは魔女宅、次がトトロ、次が千と千尋である。何が好きなの?と問われたら間髪を入れずに「絵」と答える。好きとかじゃなく、もうわたしの絵は宮崎さんからはじまっていると言える。そして動き。空を飛ぶこと。女性が強いこと。音楽。宮崎さんは決してストーリーをきっちり組み立てようとするひとじゃない。作家本人の発言がすべて正しいかというと全くもってそうではないのが美術史の常だが、確かに本人も言っていた。「耳の産毛が金色に光って、それが綺麗だったとか、子供はそういう映画の見方をしている」。また、「これはこういう映画ですってつらつら説明できる監督がいたら、それは大した映画じゃないと思います」。宮崎駿のすごさはシンプルだ。観客が「初めて見る映像」を作り続けられることだ。どうやったら思いつくのかわからないけど、でもこれが見たかったんだよ!という映像、画面を作ること、それをコンスタントに再現してゆける、これがたぶん宮崎さんの天才性。個性とは技術そのものだ。センスとは知識からくるものだ。宮崎駿を神格化してはいけない。してるけど。なんの批判も批評も受け付けられない時点でしてるけど。じぶんでもどうしたらいいかわからん、許してくれ。
しかしまあ、小さい頃の刷り込みとは恐ろしいもので、宮崎駿のインタビュー集を文庫本で読んだときに、ちょっと戦慄を覚えた。宮崎アニメでは監督本人の思想を台詞にしたり直接言葉として書き込んだりすることはまずない。なんてったってモノローグさえ無いのだ。彼の作品の登場人物は、彼らの人生を精一杯生きているだけだ。宮崎さんが「こんなに苦労して作るのに、何にも考えてないような馬鹿は描きたくないですよ」と言っていたのを思い出す。それなのに、わたしはそのインタビュー集で宮崎さんが指摘したり怒ったりするこの現実社会の諸相について、とても共感を覚えたし理解できたのだ。それは本当にびっくりした。幼少期のアニメがばっちり自分自身の価値観に影響していた。恐ろしいことだと思う。作者の蓄積してきた思想が、もしかしたらそのつもりがなくても、本当に深いところまで作品の中に示されてしまうのだと思った。そしてかなり幼かったはずのわたしはそれを骨の髄まで染み込ませていた。自分の自覚以前に染み込ませたもの、自分の選択(今でも選択できているのかは置いておいて)の遥か前に与えられ享受していたものが、わたしのほぼすべてを形作っているといってよい。もう事実なので受け止めるしかない。宮崎駿や、海外の児童文学や、親の好きだった音楽や、弟の誕生や、田んぼや山や雪や、東京という街、それはわたしの故郷で、逃れようとも逃れられない。否定したって始まらない。わたしはそこから始まった。故郷を神格化するひとはいないけど、でも故郷をなんの色眼鏡もなく批評できるひともそんなにいないに違いない。
わたしの目標は、こどもたちの心の故郷になるようなアニメーションを作ることです。そして夢は、某先生のお子さんに笑っていただくことです。恐ろしい野心であることは自覚している。ほんとうのことをいうと、ごめんね、将来やりたいことがなかった瞬間が人生に一度もこれまでないのだ。やりたいことだらけだ。年老いる前に早死にしたいという友人がそこそこ周りにいるけれど、とても腹がたつのでじゃあその残りの時間をわたしにください。勝手な話であることはわかっているので笑ってください。ひとは生を選べないから死だって選べなくて、わたしは今日にも死ぬかもしれなくて、でもそれを忘れて生きていられる程度にわたしという人間が馬鹿でよかったなと思うよ。惰性で生きていてくれてありがとうわたしの体。生命って不思議。アニメ見て作って笑って寝て叫んで生きたい。宮崎駿さん復活だそうじゃないですか。大人しく引っ込んでくれないのはぼくらが不甲斐ないからか、でもな、言い方悪いけど、それくらい生き汚くありたいと思う。頑張るからさ、さっさと追い出されてよね!こんな文章書いてる間に絵の一枚でも描きやがれ私。今日も張り切って参りましょう。
次回は「同期」です。その次は「一人称と選択とスピッツ」です。すてきな1日を。
2017年3月8日水曜日
距離感 その1
距離感の例1。
わたしは中学一年生のときに教科担当してもらっていた先生が大好きで、毎月お手紙を送ったり、学園祭へ会いに行ったり、お誕生日とクリスマスにはご家族の分まで贈り物をしたり、年賀状を持ち歩いていたり、Twitterで相互フォローしていたり、LINEを知っていたりする。その人の言葉や、文字や、振る舞いや、笑い方や、好きなもの、全てが本当にわたしを明るくする。どれだけ学校が辛くても、その先生の担任していたクラスで他愛ない会話を交わすためだけに行く。わたしはいわゆる先生らしくない先生が好きなのだと思う。大学ではアラビア語を習っている先生が大好きだ。なんと元々わたしが知っていた歌人本人だったという驚きの展開も含めて、最高に好きだ。木曜日という辛い1日が先生のおかげで毎度楽しかった。年越しにはアレッポの石鹸を贈った。アドレスを頂いたから、メールするのが楽しみだ。先生方は、必ずしもわたしのそばにいらっしゃる訳じゃないのですが、それでいいんです。わたしの辛い時にもどこかで先生方が先生方らしく、風に吹かれて飄々と生きていればいい。それを思うだけでわたしは生きていける。そういう聖域というか、安全地帯というか、不可侵の存在、それがわたしのもっとも好きなひとたち。
距離感の例2。
異性との色恋沙汰がさっぱりうまくいかない。うまくいかないし、最近気づいたのは、自分の中に積極性もたいして無い。大学生になって嫌でも考えなければならない恋愛・結婚に伴う「性愛」が、どうしても自分ごととして受け容れられないのだ。男女間の友情は成り立つかという命題は、成り立ってもらわないと困る。今この場で連絡を取って遊びやご飯にサシで誘える男友達は何人もいるけど末長く友人でいたい良い奴ばかりである。みんな好きだ。大好きだ。おもしろい奴らばかりだ。でも恋人は欲しくない。こういうこというと僻みを強がっているように聞こえるのか「それは本当の恋愛を知らないからだ」みたいなことを言われて実に心労だ。ちょっと男子と遊びに行っただけで色恋の噂になるのはうんざりだ。関係性がどれだけ多様に存在するか、もう少しだけ認めて欲しい。でも、「幸せにする」なんて言われても、ありがたいけれど、わたしの幸せは自分で決めるので、ほっておいて欲しいのだ。誠実な人だった元彼から久々に「元気?」と連絡がきたから誠実に返さねばと思い正直に「めちゃめちゃ元気です!毎日幸せです!」と返した、と話したら女友達が絶句した。本当に他意はなかった。反省した。言葉遣いは難しい。総じて、恋愛対象に見られるよりも一緒に仕事をしたいと思われたい。
距離感の例3。
たまに喩えに出すのだけれど、イメージとして、わたしの頭の中でひとやものはぷかぷかと浮かんでいる。会って話したり、Twitterを見たり、LINEしたり、人づてに何か新しい情報を得たら風船にして、結んでおく。好きでも嫌いでも、近くにいるひとは沢山の風船を引き連れているし、大好きなひとはなにもしなくても風船が増える。関心が薄い人はぼうっとしていると風船をつけるのを忘れるし、どんどん遠くへ行ってしまう。その風船の束全てが「その人」だ。わたしにとって心地よいところもわたしにとって相容れないところも同等に繋がれているから、好き一色にも嫌い一色にもならない。わたしはその中をふらふらと歩んでいる。
距離感の例4。
ジブリや、先生や、モネや、北斎や、杉田智和さんや、羽生善治さんや、ハリーポッターや、スピッツや、演劇部や、その他いくつかのものやひとは、わたしにとっていわゆる「異論は認めない」存在だ。たいてい信者と言われる。まあそうなんでしょう。全員に布教したい訳でもないし、批判も意見も評論もたくさん聴くが、ただわたしの愛はそれによって微塵も動かないけど悪しからずという意味である。好きというか、もう自分の心の支えだったり心の故郷になってしまっていたりして、否定してしまったら自分の一部を否定するのと同じだから覚悟がいる。ちゃんと見つめなければとは思う。でも、もうだめだと思った瞬間に目の前の一歩を救ってくれるのは、結局この子たちだった。
距離感の例5。
交際費・時間に糸目をつけないきらいがある。この機会を逃したら、もう一生会えないかもしれないと思ってしまうから。でもタイミングはある。無理やり会わなくちゃみたいなのはない。お互いにタイミングが一致すること、これ自体が縁だ。縁は大事。縁に流されつついきてゆきたい。モットーです。
わたしの「距離感」を羅列してみて、自分でも、よくわからないなと思う。正確に言うと、わたしが自然にやってきた距離の測り方・取り方が他者にどう受け取られるかがわからないなと思うようになった。わたしはひとが好きだ。動物の中で一番好きだ。いろんなひとがいて毎日本当におもしろい。ただ、この間後輩に言われて心にさくっときたのは「先輩は結局、ひとに好かれる側の人間なんです」という一言だった。自慢でもなんでもなくちょっとビビった。こうしてみると、たしかに積極性がなく受動的なのだ、わたしの距離感は。自意識過剰を許されるなら、この距離感のせいで、これまで何度もまわりのひとを傷つけてきたんだと思う。でもわたしはきっとこの距離感を変えられない。どうにか、じわじわ、恥をかきながら、息を止めても心臓が動くのをやめない限り、苦しくなってまた呼吸をし続けるのだ。
はい。精進します。みなさんご飯いきましょう。また、明日です。
次回は「宮崎駿監督」です。その次は「同期」です。良い夢を。
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